『取り戻したい「江戸の粋」…誰も知らない日本刺青の真実』

江戸時代の江戸では、蒸し暑い夏場に肌をさらす職業の人々(車夫、左官、とび職人、駕籠かき、物売り、大工、火消し、飛脚、漁師、遊女、博打打ち、魚屋、水商売の人々、船頭、様々な伝統職人、芸妓、舞妓などの非農民の労働者階級、職人の人々)が生活の中で褌(ふんどし)一丁や、和服を着崩しで素肌がみえる姿になる事が多かったのだそうです。

有名な赤ふんどしも、人に見せる事を意識して、赤になったという説があります。

やがて、周囲が皆、和服を着ている中で、褌一丁や裸に近い状態の姿で過ごすことが「恥」とみなされるようになるのです。

そりゃそうですよね。
想像してみれば、ふんどし一丁だけの姿の頼りなさ、心許なさはわかりますよね。
日本伝統和彫りは蒸し暑い夏の時期に服の代わりとするために、世界的に見ても稀な「全身総彫り」というスタイルに向かっていった訳です。

江戸末期の飛脚(郵便局員、宅急便)の刺青、文身

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様々な古文献をあたりますと、江戸の刺青はもともと「褌一丁になった時の心許なさをカバーするために、身体に服を彫ってしまえばいい」という発想から生まれたようです。

日本の刺青は服の代わりなので、世界的にも稀な全身に総柄を入れる、”総彫り”のスタイルが生まれたようです。

江戸時代の大工の刺青、文身
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江戸時代の魚屋「浦和の魚屋 國七の刺青、文身」です。
当時の魚屋や漁師も水に関係のある「水商売」と考えられており、
刺青を入れることが流行っていたのだそうです。
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田中香涯(明治〜大正期の医学者)「医事雑考 妖。異。変」(1940年 鳳鳴堂書房)より『江戸末期の文身(刺青)』
「(江戸時代の)安政の頃から萬延までの間も、刺青の有る若者は、強面に見えたため、飲食店に行けば歓待され、また女子供は、その威勢良さに感服して刺青のある者を慕い、芸者や娼婦は刺青の有る者を恋人に持つことを一種の見栄とするような風習がおこなわれていた。
それから刺青の流行には演劇の影響があったことも看過してはならない。歌舞伎芝居の舞台で、弁天小僧吉之助や國七九郎兵衛などが衣装を脱いで見せびらかす刺青の勇ましさ、華やかさ、凄さは、勇み足の人間を恍惚とさせ、多数の模倣者を輩出せしめたのである。」

シンプルに表現すれば、「刺青を入れると、ヒーロー扱いされモテた」のだという事です。
これを現代で言えば、モテモテのEXILEのメンバー達といった所なのでしょうか?

お祭り佐七と芸者小糸
201205241523405afお祭り佐七の刺青、文身

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天保の頃には、この刺青ブームが最高潮に達し、浅草の三社祭りの神輿担ぎに出た若者20人は横に並ぶと一体の龍となる刺青を施したのだそうです。
世界広しといえども、このタトゥーのアイディアは江戸時代の江戸だけのギネス級のオリジナリティーです。

(現在、一部の東京下町の祭りでは刺青露出禁止の所が出てきているようですが、それは本来の江戸文化の姿から考えますと実にナンセンスな事なのです。下町の地元商店会の中に日本の刺青の歴史を知らない高齢者が増えてしまった事が原因だと思います。外国人観光客に日本人の勇壮さを正しく見せ、江戸の歴史を継承するためにも、祭りの刺青は本来、露出させなければなりません。)

祭りの神輿担ぎの刺青、文身
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やがて当時の両国では飲食店で「刺青会」(しせいかい)(現代で言えばタトゥーコンテスト)が開催され、江戸の人々は自らの刺青のアイディアの奇抜さ、オリジナリティーを披露しあうようになります。

「腹に短刀の刺青を彫り、褌一丁になった時に短刀を褌に挟んで持っているように見えるもの」

「左肩に小さく牛若丸を、尻に弁慶を彫った刺青」

「後部頭髪の生え際から背中を下に向かって一本の糸状の刺青を彫り、臀部に蜘蛛」

「陰茎の亀頭に一匹の蜂の刺青を彫った僧侶」(←この人が刺青会の優勝者だったそうです。)

同じ江戸期でも、遡って元禄の頃には、まず芸妓や娼妓が愛する者の名を彫る事が流行し、それを見た男性も女性の名前や、女性の家紋を彫ることに波及したようです。

武士や刺客の間でも、いつ命を落とすか解らない不安を紛らわすために、死後の平安のシンボルとして経文や仏陀などを刺青にするようになり、それまでは情愛のシンボルだった刺青に変化がおきはじめます。
この武士の一部が入れていた仏などの彫り物を「武家彫り」と言います。

歌川国芳が描いた 水滸伝に登場する力士の文身絵

元禄時代の相撲では、多くの力士がさまざまな刺青をしていたようです。

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刺青の流行と同時に出てくるのは、刺青を見せびらかして威嚇、脅迫して人から金品を奪い取る輩だったようですが、どうやらそのような目的で刺青を入れた男性は中途半端な輩が多かったと書かれており、「小さな文字」「小さな文様」などのワンポイントが主流だったそうです。
大きな刺青の場合には、それなりの忍耐や決心が必要になってくるためでしょうか?
そのような不埒な考えの者が少なかったようです。これは面白い傾向です。

現代の刺青も、これとまったく同じ流れで流行やジャンル分けが形成されていることに驚きます。
まずは女性の愛するものを具現化したワンポイントから始まり、それを見た男性が、さらに勇気を試す大きな刺青を入れるようになるという流れです。
そしてそれを見た女性達も競い合うように、大きく優美な刺青を入れるようになってゆくのです。

芸妓の刺青、文身7cf3a6b096572ec7a1a838698e68c40f

それに拍車をかけたのが当時の役者の刺青です。
4代目中村歌右衛門は身体が小さく舞台で見劣りがする役者だったようですが、見栄えがするように全身に刺青をして舞台に立ち、それが大変に民衆にウケて大きな評判を呼んだようなのです。
こうして、今度は役者が刺青を入れるようにもなり、さらに刺青の幅広い魅力が人々に認知されてゆくことになります。

四代目 中村歌右衛門の刺青、文身
成駒屋系の最も古く権威ある歌舞伎界の名跡)スクリーンショット 2015-06-19 10.56.25

このように江戸時代の日本の刺青はブルーカラーのファッションを示すアイコン、シンボルとなってゆく経緯がありましたが、やがては、それが大名(現在の官僚、役人)にも、その流行が達するまでになります。

天保時代の下総小見山で一万石大名として知られていた、内田伊勢守正容(和田倉門番、馬場先門番、半蔵門番、竹橋門番、田安門番、日光祭祀奉行)は、全身に種々様々な刺青が施されていたそうです。

有名な庶民派奉行として知られる遠山左衛門尉景元(通称 金四郎:江戸北町奉行大目付、後に南町奉行)は、テレビドラマの桜吹雪ではなく、腕に女の生首を入れていたようです。5a979dd61eff3038311863f98b3301f40000_cover松平出羽守も刺青好きで知られていたようで、側妾に花模様の刺青を入れ、白い薄手の着物を着せ、下の刺青がうっすら透けるようにしていたそうです。

やがては町娘の中にも刺青で有名になる者が現れます。江戸本郷春木町の蕎麦屋(そばや)の出前持ちであったお竹は、無頼の悪漢でも恐れをなすほどの刺青で、江戸市中に名を轟かせてしまいます。

テレビドラマ鬼平犯科帳で女優、池波志乃が演じた
「春木町のお竹」は刺青で有名になった町娘 だった。
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その刺青というのは、背中から腹にかけて金太郎を彫り、ちょうど乳首の所に金太郎の口を彫ることで、乳首を咥えさせたデザインだったのだそうです。
しかも、その刺青の金太郎の全身にも細かな刺青が施されていたそうです。
このデザインのアイディアに、よくも苦痛に耐えたものだと評判となり、付近の悪徒や無頼漢達も畏怖の念を抱いたのだそうです。

当時の刺青もサイズが大きくなりますと金銭的にも負担が大きくなりますし、勇気や忍耐力が必要となりますので、当時のブルーカラー層の親方、頭、棟梁など、下に子分を引き連れたリーダー達がこぞって刺青を入れた記録が残っています。

これも現代とまったく同じ現象が脈々と続けられていることになります。
当店のお客様にも、建設業、左官業、内装業、調理業の親方様、会社経営者様、店舗経営者様の中に大きな刺青を入れる方が多い状況なのです。

時代が変わっても、日本人の行動様式はまったく同じなのですから、人間って本当に面白いものですね。

江戸の大工、とび職人の刺青、文身

格子柄の法被が鳶職人、黒い衣装が大工であると思われる。
鳶職人、大工共に腕まくりをして刺青を大衆に見せている。本来の日本刺青は隠すものではありません。

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このような大流行があった江戸の刺青ですが、明治政府は欧米列強に追いつき近代化を図る名目で、刺青:しせい(文身:ぶんしん)やお歯黒、髷、アイヌの耳輪(ピアス)などの伝統的な装飾文化を禁じてしまうのです。
この時に、江戸で花開いた刺青、文身文化と同時に消滅してしまったのが、法的には「旧土人」とみなされていたアイヌや、琉球の人たちが受け継いでいた伝統刺青(トライバルタトゥー)だったのです。

アイヌ民族のトライバルタトゥー
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そして、ここから日本刺青の不幸な歴史が始まってしまいます。

法律で入れることを禁じられた刺青は、”法を法とは思わぬアウトローだけ”の専売特許に向かってゆくのです。

このような伝統文化的な芸術価値があるにもかかわらず、近代化の流れで不幸な運命を迎えてしまった日本の刺青を解禁したのは、なんと戦後の米進駐軍(GHQ)であったと言われています。
むしろGHQの方が日本の刺青文化の伝統を尊敬し、その歴史的価値を知っていたのです。
その理由は欧米の軍人(ノブレス・オブリージュ[仏: noblesse oblige]高貴なるものは義務を負う=貴族、王族が軍人となる伝統を持つ)がタトゥーを入れる文化を持っていたせいで、偏見が少なかったからだと思われるのです。

そのような背景があったので、進駐軍の米兵達も日本の彫り師に刺青を彫ってもらい、それを喜んで日本滞在の思い出:土産にしていたようです。

明治時代には英国王室の少なくとも4人の王子が日本で刺青を入れ、皇太子時代のロシア・ニコライ2世も長崎で龍の刺青を入れた記録が残っています。

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明治期から終戦まで違法とされた刺青を解禁したGHQのマッカーサー元帥と今上天皇

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オーナーの養祖父は、戦後にGHQとして来日したアメリカ空軍大佐でした。
東京都世田谷区に居を構え、相撲や歌舞伎、和装、祭り、浮世絵、伝統工芸品などの日本の伝統文化を愛する親日派のアメリカ軍人でした。

当店オーナーがタトゥー、刺青に対して偏見のない純粋な庶民芸術としての啓蒙活動に励んでいるのも、こうしたご縁があるからなのです。

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日本の刺青文化の不幸な歴史的経緯を知らず、この世界でもっとも歴史が続いている独自文化を必要以上に悪くみなすのも、一種の自虐史観のようなものなのではないでしょうか?

当の日本人が自国の文化を全く理解していないのです。なぜか?日本の伝統刺青を欧米人が好んで入れているのです。
しかし日本人が入れると差別されたり蔑まれたりするのです。

その文化的価値を見出しているのが、未だに欧米人が中心である事も、誠に皮肉な事だと思いませんか?
このような日本国内の状況に、日本の彫り師は見切りをつけ、貴重な伝統技術がどんどん海外流出している状況なのです。

そもそも、日本のマスメディアの人たちや政府の人たちは、日本語を間違えています。

みなさんに良く覚えていただきたい事があるのです。本来の江戸時代の日本では、芸術的価値のあるタトゥーを日本語で「入れ墨」とは呼んでいませんでした。

「入れ墨」というのは江戸時代に刑罰として入れられていたものへの差別的な蔑称なのです。下の図が刑罰として用いられていた『入れ墨(刑)」です。

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当時の人たちは芸術的価値のあるボディアートのタトゥーの事を「文身」(ぶんしん)または「彫り物」と称して明確に区別していたのです。
刺青(しせい・いれずみ)という言葉は明治期の文豪、谷崎潤一郎が始めて短編小説で使用した当て字であると言われております。

下の浮世絵が刺青(しせい、いれずみ)、文身(ぶんしん)、彫り物と呼ばれていたタトゥー(ボディアート)です。
これは入れ墨ではありません。文身、もしくは彫り物と呼ぶものなんです。

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このように名称だけでなく、デザインも意味合いも全く違うものなんです。
それなのに、無知なメディア人や政府、政治家、多くの日本人は名称も意味合いもデザインも混同しているのです。

ですから、マスメディアや政府の人たちは、いい加減に「入れ墨」と卑下して呼ぶのは止めていただきたいと思うのです。

我々は刑罰としてのサインを身体に入れられた犯罪者ではありません。
通常の社会生活を営みながら、タトゥーを楽しむ一般庶民なのです。

どうしてマスメディア人たちは、差別用語の「入れ墨」という言葉をデリカシーなく使い続けるのでしょうか?

取り戻したい「江戸の粋」…これこそが江戸っ子本来のカッコイイ姿だったのです。

御あつらへ三色弁慶 歌川豊国(三代)画/万延元年(1860)
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