田中香涯(明治〜大正期の医学者)「医事雑考 妖。異。変」(1940年 鳳鳴堂書房)より『江戸末期の文身(刺青)』より

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「ことに安政の頃から萬延に至る迄も、文身のある若者は、こわ持てがしたもので料理屋青楼に登ると歓待せられ、また婦女や子供はその威勢に服して即て文身のあるものを慕ひ、芸娼妓等は文身のあるものを情婦にもつのを一種の見栄とするやうな風習が行はれた。

それから文身の流行には演劇の影響があつたことことを看過してはならない。歌舞伎芝居の舞台で、弁天小僧吉之助や國七九郎兵衛などが双肌をぬいで見せびらかす文身の勇ましさ、華やかさ、凄さは、勇み肌の人間を恍惚とさせ、多数の模倣者を輩出せしめたのである。」

現代語訳 「(江戸時代の)安政の頃から萬延までの間も、刺青の有る若者は、強面に見えたため、飲食店に行けば歓待され、また女子供は、その威勢良さに感服して刺青のある者を慕い、芸者や娼婦は刺青の有る者を恋人に持つことを一種の見栄とするような風習がおこなわれていた。

それから刺青の流行には演劇の影響があったことも看過してはならない。歌舞伎芝居の舞台で、弁天小僧吉之助や國七九郎兵衛などが衣装を脱いで見せびらかす刺青の勇ましさ、華やかさ、凄さは、勇み足の人間を恍惚とさせ、多数の模倣者を輩出せしめたのである。」