オーナー少年時代の自虐的な思い出。

学生時代に学習障害を持っていた妹には自傷癖があった。奴は結局、高校も辞めてドロップアウト。その自傷痕を隠す為に、今では両腕にびっしりとタトゥーを入れ、ヘルズエンジェルズを崇拝する東京のハーレークラブに入ってバイカーを気取っている。

妹のように、自傷跡を隠す為に、自傷を止める為に、タトゥーを入れに来られるお客様も良くおられますね。まあ僕は、妹がそういう奴だったので、自傷痕を見ても別になんとも思わないが….(笑

実は僕も僕で、小学生6年間でノートをとったのは全て最初の1ページだけだ。あとはすべて落書きで埋まっていた。当然ながら、通信簿は5段階評価で1〜2のオンパレードだった。いつも概要欄に「落ち着きが無くて手遊びが多い」と書かれる劣等生だった。僕も典型的な学習障害を持っていたので有る。

作文も苦手で、いつも最初の1行で筆が止まった。その後は何時間考えても続きが全く思いつかなかったのだ。

そんな自分は、中学1年の面談で担任の先生から、「このままでは入れる公立高は無い」と死刑宣告を受けた。同席した母親は真っ青になっていた。

今思えばイライラを鎮める為だったのかもしれない。僕は密かに夜になると、Deep Purpleやiron maidenをラジカセの大ボリュームで聴きながら、自分の手指を模型工作用カッターやペンチで傷つけた。指に出来たタコを根っこの部分からラジオペンチで一気に挟んで切除した事もあった。(血が止まらず大変な事になったが、ボクサーの父から止血の知識を伝授されていたので平気だった。)

irontroop

しかし、そんな根暗なロック好きの自虐少年にも大きな転機が訪れることになる。

親が焦ってねじ込んだ学習塾(たしかラサール進学会という名称)の先生の強烈なキャラクターに引き込まれ、急激に勉学に興味を持つようになったのである。その先生は、もともと公立校の教師だったのだが、クラスの全員が勉強を一定ラインまで出来るようになるよう、理解度の悪い子には放課後に特別に教えていたのだそうだ。

しかしやがてその勝手な行為が学校内で問題になり、校長やPTAと大ゲンカし、馬鹿らしくなって教師を辞め、塾の講師になったという過激な経歴の方だったのだ。

まず、僕はこの先生の経歴にやられてしまった。直感的に「この先生は本物だ!」「ロックだ!」と思って感銘を受けてしまったのである。

この塾はスパルタ式の塾だったので、毎回小テストがあり、それをクリアするまで家には帰る事が出来なかった。点数が低ければ容赦なく「お前、無知は罪だぞ!」と先生に怒られた。一緒に入塾した小学校時代からの同級生達には、「お前はまだ帰れないのかよ?バーカ バーカ〜!」と、いつもからかわれた。

それが実に悔しく不甲斐なかったので、友達と遊ぶのも一切やめ、とにかく塾の先生の言う事を最前列で一字一句聞き逃すまいと頑張るようになったら、みるみるうちに成績が上がって、一緒に入塾した同級生達を追い越すようになっていった。俺をバカにした奴らは大して成績が伸びなかった訳だから、今思えば「バカにしてくれて有り難う!」という気持ちさえも持っているよ。

2年半後に進学したのは県下でも進学校と目される学校だった。(おそらく、あの学校の卒業生でタトゥーを入れているのは自分だけかもしれない…..それほど糞真面目な生徒しかいない学校であるが….)クラスでビリだった自分が、たった2年半程度で優等生と言われるようになってしまったのである。僕は妹に比べると、まだマシな方だったのだ。パンクな先生との衝撃的な出会いがあり、運良く興味を勉学に向けることができたのである。

タトゥースタジオをやって居ると、ある種の先天的な精神傾向とタトゥーを入れたくなる層が、確実に重なって居る事に気がつくので有る。多くの人が集団内で不適合の烙印を押され、社会から疎外され、劣等感を抱え生きてきた人だからだ。僕も妹も、家庭の不幸をきっかけに鬱状態になった幼少経験を持つ嫁もそうなのだ。

そして、人の基準は気にせず、自分の基準で生きる為の証にタトゥーを入れるのである。もちろん自由には責任も伴う事も承知しながら。

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